気合いを入れて朝から自転車を漕ぐ。

郵便局に寄り、自習室に向かう。自習室に着く頃には若干ヘロヘロになりかけていた。今日も暑い。

着いてから1時間ほど数学に勤しみ、自転車屋の開店時間になったので荷物を背負って自習室を出る。

自転車屋でメンテナンスを受けつつ、乾電池式のライトを購入した。

これで充電式のライトが途中で切れても大丈夫だろう。

午後は自習室に戻って英語。この頃には謎の疲労に見舞われていた。

また、当初エレベーターに自転車が乗らなかったためチャリを担いで階段で4階まで登ったため右腕が筋肉痛になった。

和訳の後は賃貸物件を探しに街をふらふらとし、帰ってきてからは化学→生物のローテを回した。

そして帰りは雨がぱらつく中再び自転車に乗って帰路を急いだ。

何せ地方の田舎都市である、暗がりからお年寄りがふらっと出てきたり舗装されてはいるもののガタガタでケツが痛い道もある。(それを舗装されていると言ってもいいのか)

また、昼間とは違い夜になると同じ道でもガラッと雰囲気が変わる。見慣れた風景も夜になればルイージマンションだ。やったことないけど。

しかも行きは異なる道を通って行ったため、帰りの道筋は今までの経験と勘で選ぶしかない。取り敢えず西に走って行って、尚且つ電車の線路沿いを走っていけばなんとかなるだろ、と楽観視していたら、

  • 高校生が4列くらいになって走っていたので抜くに抜けない→時間ロス
  • 裏路地的なやつでやたらと信号に引っかかる→時間ロス
  • 電車の線路沿いを目指していたら全然違う道からのアプローチとなった→時間ロス

と、色々と時間ロスに見舞われた。

辛うじて夜でも見間違えることのない道に出て、そこから先は爆走コースである。

夜でも見間違えなかった理由はただ一つ。一度目の大学生だった頃に行った教育実習の配属先がその近辺にあり、朝は7時から駆り出され、夜は9時まで学校に残らざるを得なかったため、その近辺を夜に走った記憶があったからである。あの交差点を直進、あそこの角のセブ〇レで左折、全て覚えている。あの無給で働かされまくった3週間もついでに思い出した。

あの頃はあれがある意味地獄よな、と思っていたがそれを上回る地獄を見たので今となってはいい思い出(?)である。毎日「あのババアいつかぶっ飛ばす」とかって呪詛のように呟きながらママチャリを駆っていた頃が懐かしい。

そしてそれらの一連の地獄を思い出すたびに、死ぬ気で勉強をしなければなという思いに駆られる。

そう、勉強をせねば地獄が待っているのである。勉強をしても地獄が待っている場合もあるが、その地獄は意味の異なる地獄である。と思いたい。

何はともあれ這々の体で帰り着き、雨に濡れた身体を風呂に入って温めた。

風呂から上がると、年金機構からの封筒が目に入った。どうやら今日自分宛に国民年金の納付通知書が届いていたようだ。

時間をとって払いに行かねばな、と頭の片隅で思いつつまだ期限は先なので今週は勉強と自転車に重きを置くことにする。

文系社会人を経ての無職。からの学生。 本業は医学生、副業は無職文系。

シェアする