無職868日目
今日の一言
今までに本ブログにおいて一度言及しているのだが、鯉王の祖父は鯉王が中学生の時に故人となっている。社会人となってからは盆休みがなかったので、祖母の家に行き墓参りをすることもほぼなくなってしまったのだが、大学生くらいまでは大学が夏休みに入ってから帰省し、時間があれば祖母の家に向かうだけでなく墓参りもしていた。
墓地は祖母の家から歩いて30分ほどの山の中腹みたいな場所にあった。こういうのは日本の地方部にはよく見られる光景だと思う。そんなに高くない山で、恐らく里山のような役割を果たしているのだろう。祖父の墓は先祖代々続く墓で、その周囲にも親戚やら近隣の家やらの墓が多数建てられていた。先祖の墓は山の中腹のような場所を拓いて作られたと思しき墓地の、ほぼ頂上に近いところにあったので、夏場に麓で水を汲んでから足場の悪い坂道を登るのは割とな重労働だった(が、大抵水を汲んで持って上がるのは私の仕事だった)。
墓を掃除し、一通り墓参りを済ませ(大体その頃には蚊に刺されまくるのだが)、さて山を下りるかと荷物を持って山を下りながら周辺の墓を見渡すと、通常の墓とは異なる形の墓がいくつかあった。大抵の墓は直方体の形だが、いくつかの墓は角錐の形なのである。そして、その角錐形の墓に刻まれた地名は殆どがカタカナであった。また、場所の不明であるものもあった。幼いころから墓参りで毎年訪れていたが、角錐形の墓に気が付いたのは高校生になってからである。
驚いたのはその角錐形の墓に刻まれた享年だった。殆どの墓に十七や十八といった当時の自分と変わらぬ歳が刻まれていたのである。祖母の話によると、角錐形の墓は戦地で亡くなられた方の墓らしい。遺骨が納められているかどうかもわからないとのことだった。
なんといっても地方の田舎部の、更に辺鄙なところである。そんなところにまで徴兵の手が及んでいたのかと衝撃を受けた。或いは、そんなところだったからこそ真っ先に徴兵されたのかもしれない。
同じような年で、もしかしたらもっと勉強をしたかったのかもしれない、やりたいことがあったのかもしれない。田舎の中でも更に辺鄙な場所であるが故、高等教育を受けるために進学した人は少なかったのかもしれないが、その墓を見た当時の自分はより一層学問に励まねばならんなと思った。そして、戦争へと向かうような国家や社会から身を離すことができ、尚且つ世界のどこででも生き延びることができるようにせねばならんなと思った。
あれから十年ほどは経っただろう。今もなんやかんやで勉強を続けているし、どうにかこうにか生きてはいる。ただ、毎年盛夏の候になると山の中腹から見えた水田や河川、昼過ぎの太陽に照りつけられた角錐形の墓と墓場の熱気、積乱雲の浮かぶ底抜けに青い空、そして墓に刻まれた享年と没した地という光景を思い出す。