無職1082日目
今日の一言
本日根城に帰還する予定だったが、不用品売買の関係やら諸々の手続きの関係から明日根城に帰還することにした。朝からフリマサービスで売れた品を発送し、明日が返却期限となる図書館の本の延長手続きを行う。根城に帰還して図書館に返却しに行く気力が無かった時用の対策である。
それと同時に先輩と同期に連絡を取り、春分の日に京都に行くことになった。久々の京都である。休日なので人が多そうな気もするが、コロナウイルス感染防止対策を万全に行っていこう。
そしてブログ更新やら整備やらを進めつつ、バイトに片っ端から応募する。自分の手を離れた結果がわからない以上、そしてそれがどうも芳しくない結果である以上、無職文系は無職文系の本分に則って何かしら金を稼ぐ必要がある。時は金なり、金は時なり。
夜に母からこんな事件があったと知らされた。
記事全文を読んだが、何とも言いようのない気持ちに襲われた。
私は自分で選択して無職をやっており、自分で選んで医学部進学を志した身である。更に言えばそもそも大学進学、就職、退職、受験のどのプロセスにおいても自分以外の誰かの意思の介入を許したことが無い。多分最後にまともに親の言うことを聞いたのは「取り敢えず高校には行ってくれ」だったと思う(そしてちゃんと高校には進学した)。
まあそれで結果がついてこないのはちょっと残念なことだが、自分で選択した日々の積み重ねの結果なのでしゃーねーなという諦念と覚悟がある。
このニュースに出てくる母を殺害した女性は果たして自らの意思を尊重されるような場が人生においてあったのだろうか。自分で選んで3年無職をやっている身ですら(しかも自称金剛石の如きメンタルを持つ鯉王ですら)割と堪えることのある受験生活である、それを親に強いられて9年も継続することになった女性の地獄を思うと、何とか軽い量刑にしてほしいと思わなくもない。
それと同時に殺害された母親についても色々と思うことがある。自身が工業高校卒であることから学歴にコンプレックスを抱いていたのかもしれないが、それならば「乃公出ずんば」の精神で自らが医学部受験をすれば良かったのではないか。実際自らが東大に行きたかったのだと50代で東大に合格した女性もいる。医学部の場合は年齢制限もあるかもしれないが、60代で医師になった人もいないではない。子供を自分の願望実現装置としてみるのではなく、自らが自らの願望を実現するべく動けばこの悲劇は起こらなかったのではないか。
しかも9年浪人した末にこの女性は看護師になってちゃんと働いている。無職をやっている私よりも遥かにちゃんと人生を歩んでいるのに殺害された母親は何が気に入らなかったのだろうか。
取り敢えず記事を読み終え、3年無職をやっているのに監禁とかスマホ破壊とかされることもなく、今まで何か進路を強制されることもなかったので(高校には行けと言われたが)、私の親は偉大なのかもしれないとちょっと思った。そもそも教育方針らしい教育方針が無く、「親より1日でも長生きすればそれでよし」みたいな感じなのでもしかしたら私は親ガチャSSRだったのかもしれない。
この1~2週間、「親がやたらと出張ってくる受験」を多く目にすることとなったが、この記事を読んでその辺も大丈夫なのだろうかとちょっと考えたりした(それよりもまず私は私の行く末を心配した方が良さそうである)。