朝から数学に勤し……まずに大学に向かう列車に乗る。

モロ通勤ラッシュと被る時間帯であるため、車内は色々と凄まじかった。

そういえば自分も3月までは通勤・通学ラッシュの中通勤していたなと思い出した。今となっては1世紀くらい前の出来事なんじゃないかと思う。1世紀も生きてないけど。

通勤・通学ラッシュとはいえ、自分のは田舎の地方都市であるため、しかも始発電車に乗っていたため、さしたる問題ではなかったが、今日のは政令指定都市が2つほど?噛んでくる電車である。割となラッシュだった。

雨に降られたりなんだりしながら大学に向かう。約2ヶ月ぶりに出向いた大学は、相も変わらず「学問の府」って感じだった。

歯医者ではいつもの如くメガネの園だったが、どうやら本格的な治療に移るらしい。何とか本番1月までに歯をしっかり治療したい。

歯の治療を終え、大学院に進んだ友人に会おうとしたところ色々な行き違いがあり、出会えたのは午後2時を過ぎてからだった。

友人も色々と苦労をしているようで、こっちの話を聞いてもらう予定だったが何か色々な話をされ、「無職なんでも相談所」を開設した気分になった。

友人と喋っている中で、友人がしている家庭教師のアルバイトの話が出てきた。それに関連して勉強についての話が出た。

勉強が出来ない理由というのはいくつかの要素に分解出来、「動機」と「知識の有無」と「客観視できるかどうか」に大まかに分けられるんじゃないかという話である。

「動機」は簡単に言えば「モチベ」であり、「モテたい」とか「周りに自慢したい」とか「◯◯(職業)になりたい」とか「△△(資格)を取りたい」とか「あの高校は女子が可愛い」に表されるような、そんな感じのアレである。動機の強さ弱さが勉強に向かう姿勢や行動力に影響を与えているんじゃないかと私は考える。私の場合であれば「正の動機」は「医師になりたい。医師になってバリバリ研究しまくって新しい発見しまくりたい。未知の荒野を切り拓く第一人者になりたい」になるし、「負の動機」は「無職状態を来年の3月以降も続けるのは嫌だ。前職で経験した、大した成長もなくこれから先40年、少しずつ死んでいく感覚だけは死んでも避けたい」ということになる。謂わば「受験を生き延びようとする意思」である。

「知識の有無」はそのまんまである。ここでいう「知識」には「解法」や「イイクニツクロウ鎌倉幕府」や「水兵リーベ僕の船」や「メガフェプスダッパム」から「勉強の効率的な仕方」「各教科ごとの具体的な戦略・計画の立て方」「(各教科の理解に裏打ちされた)記憶力」「(日本語の知識から来る)読解力」「答案の書き方」「(解法理解・暗記から来る)解法の閃き方」とかも含まれる。謂わば「受験をエンジョイ&サバイブするために必要な道具やノウハウ一式」である。

「客観視できるかどうか」もまあそのまんまである。自分が何をどこまでわかっているのか、わからないとすれば何がどうわからないのかをきちんと知ることは勿論、受験生全体の中でどれくらいの位置にいるのか、合格の可能性が低いとしたら何をどうすれば可能性を高められるのか、高められる余地はあるのか、といったことを自分を過信も卑下もすることなくゼロベース捉えられるか、謂わば「受験と自分に対する分析を冷静に行えるか」である。

山登りに例えると「山に登りたい!」というのが「動機」、「テントや地図やナイロンザイルやピッケルなど」が「知識の有無」、「進むか引き返すか、登山するか否か、頂上にアタックをかけるかどうかといった重要な決断を自分と山とを分析して決める」が「客観視できるかどうか」である。

まあかっこよくまとめるとそんな感じの話が出た。

それが足りてないと結果は出ないよなということなのだが、それが足りていないことを説明してもわからないのだ、とのこと。そもそも勉強に対する「動機」がない、全体的に「知識」が無い、かといって「知識」をつけるという行動も起こさず、自分の現状を「客観視」できていない、その上それを他人の所為にする、という状況らしい。まあ他にも色々と家庭教師をしている上でのあれやこれやを聞いたが、簡単にまとめればそんな感じだった。

まあそれが足りていれば受験に合格するのか、と言われればそれが正しいかどうかの証明は私の結果如何によるので、「お前は今日何を長々と偉そうに書いたんだ」と言われても今の所なんともしようがないのだが。

私は勉強が出来る方ではない。記憶力がそんなにあるわけではないし、能力も高くはない。けどまあ「動機」と「客観視」はある方だと思う。

文系社会人を経ての無職。からの学生。 本業は医学生、副業は無職文系。

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