今日の一言

昨晩割とな暴飲暴食(一晩に飯代だけで3,000円近く使ってしまった。これまで1週間ほど賞味期限の切れた完全食のパンと水だけで生活してきた甲斐があったともいえるが、なんかそこでの節約が一気に水泡に帰したような気もする)をした後に日付が変わってから風呂に入り、そのまま倒れこむようにして眠ったにもかかわらず午前7時台に目が覚めたのは老化か奇跡かのどっちかだと思う。昨日1万歩近く歩いたのにな。

荷物をまとめてチェックアウトの準備をし、帰りの新幹線及び特急列車の時刻を調べてから駅に向かうバスを逆算して調べる。帰りの特急列車は自由席にしたためにギリギリの時間に向かって座れなかったら困る上に、万一特急列車にうまく乗り込めなかったら指定席の新幹線に間に合わない可能性もあったので、早々にチェックアウトすることにした。

自動でチェックアウトを進め(最近はハイテクだな)、バス停でバスを待つ。駅に向かうバスは『となりのト〇ロ』に出てくる猫バスかよと思うほど運転がダイナミックだった。

駅にたどり着き、荷物をコインロッカーに預けて土産物でも見るかと思ったがコインロッカーが現金(というか100円玉)にしか対応しておらず、そんなに大量の100円玉を持っていなかったので仕方なく荷物を持ちつつ、大学の指導教官や先輩、友人、実家へのお土産を購入し、一部を根城に宅配便で送ってもらうことにした。しっかし宅配便の配送料が同一地方内ではないのでちょっと高くなるな。これは合格後安易に荷物を送ってもらうわけにはいかなくなりそうである。

恙なく土産物を購入した後、ホームに向かう。私が乗る特急列車は20分ほど後に来るらしいが、駅のホームには他にも様々な特急列車が停車していた。特急列車から降りてくる若者や老夫婦、別の特急列車に乗り込む家族連れ、自転車と一緒に乗車する青年や部活の遠征に向かう途中の女子高生、列車の写真を撮る人たちをぼんやり眺めていると自分の乗る特急列車がやってきたので、それに乗り込んで座席を確保し、荷物を下ろす。この作業さえしておけば向こう数時間はゆっくりできるはずなので、早速本を読むことにした。途中微睡んでいたら切符の確認イベントがやってきて慌てて切符を出すなどしたが、遅延等もなく乗換駅に到着した。ここで乗り換えて新幹線の乗換駅までまた特急列車に乗っていくのだが、如何せん朝から何も食っていないので腹が減っていた。ホームの自販機でパンを購入し(自販機でパンを買うなんざ何年ぶりだろうか)、特急列車に乗り込んで食うことにした。

やはり昨日試験を受けた上に歩き回っていたので疲れたのだろうか、本を読みながら微睡むことが多かった。それ故また切符確認イベントで微睡みまくっていた。新幹線の乗換駅では駅構内で迷いかけたが、なんとか新幹線に乗り換えることができた。途中在来線の改札から出口に出てしまいかけるなどのハプニングもあったが、新幹線に乗ってしまえば後は座席も指定されていることだしそんなに困ることはない。本を読みながら眠気覚ましにわさびのあられを食うことにした。新幹線のホームでは他にも受験帰りらしき親子連れをちらほらと見かけた。

実家最寄りの新幹線の乗換駅にたどり着き、そのまま在来線に乗り換えて実家の最寄り駅まで電車に揺られる。帰り着いたころにはもう夕方となっていた。実家で洗濯物を出し、土産を渡す。買って帰った酒は早速冷蔵庫にて冷やされることとなった。

今日の一冊

前期日程が終わった後も読んでいた新書の続き。中盤~後半は「人間の脳は何万年も前の生活に適応するために進化したが、その進化は現代社会の技術革新には適応していない」という前半に出てきた観点を踏まえたうえで、現代社会のスマホに関する問題と、それらを検証した研究等を引き合いに出してスマートフォンを使いすぎる生活が害であることを示している。

その中でも驚いたのが、言葉を話すことすらできない子供が既にタブレット端末を使用している(しかも30分とかじゃなくて何時間も)という点であった。私ですらiPadとかKindleとかを持っていないというのに、ちょっと羨ましい1 これは大変な事態である。小学生ぐらいがタブレット学習とかに取り組むというのは聞いていたが、まさか1歳や2歳くらいからもうスクリーン漬けの日々が始まっているとは思いもしなかった。あともう一つ驚く記述があった。

ペンだとキーボードほど速く書けないため、何をメモするか優先順位をつけることになる。

『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン 久山葉子訳 新潮新書 p98

私はペンの方が速く書ける人間なのでちょっとこれには賛同できそうにないなと感じた。確かに文章のみを記録する(&それを見返す)上ではパソコンの方が速いが、単純にメモ書きや記録となると(字はクソ下手かもしれないが)ペンの方が遥かに速いし、手軽さという点では昨年まさしくパソコンの不自由さを(主に模試で)思い知らされたばかりである。

本書に出てくる話の一つに、スティーブ・ジョブズは自分の子供のiPad利用時間を厳しく制限していたというのがあった。他にも幾つかこれらのスクリーンに関する技術(Twitterとか)の開発者の話が出てくるが、子供のうちからスマートフォンを持つのは(薄々感じてはいたが)良くないのだろう。それらに科学的な根拠を付しているのが本書、ということになりそうだ。

私の高校時代の同級生がかつて言っていたことに、「俺が高校生の時にスマホがあったら確実に大学に落ちている」というのがある。我々が初めてスマホを手にしたのは大学生に入ってからで、私なぞはLINEというサービスをよくわからないからと言って1年次は全く使用せずにスマホを持っていたものである。しかもそれで自分の生活や同期とのコミュニケーションに全く支障をきたしていなかったというのだから、現代の高校生や大学生にとってはちょっと考えにくい状況かもしれない2 。つまり我々は「触れるスクリーンのある携帯がネイティブではない最後の世代」かもしれない。

本書の中盤~後半にかけて、子供達に与えるスマホの悪影響と、その予防法について言及されているが、やはり運動することが一番手っ取り早い近道なのかもしれない。それと同時に、不謹慎かもしれないが「私が子供のころにスマホがなくてよかった」「子供たちがスマホに触れるが故に悪影響を及ぼされる(平たく言えばバカになる)なら、暫くは私も食うには困らねえだろな」と考えた。

この本はスマホ依存・スマホ中毒対策書というよりは「スマホを使い続けるとこういう悪影響がありますよ」というレポートに近い(実際、対策がまとめられているのは巻末のリストのみであり、各章ごとに内容がまとめられているというわけではない)。スマホに限らずデジタル関係の対策書としては『デジタル・ミニマリスト』の方が有用かもしれない。

勿論、スマートフォンやSNSの恩恵に浴することが出来、害よりも益を多く受けている人も居ないではない。私がスマホをうまく使えているかはよくわからないが、Twitterのお陰で新刊や新商品の情報をいち早く得ることが出来たり、スマホの機能のお陰で新しい場所で迷わなかったりとメリットも多々あるはずである。スマホに限らず、優れた技術は多くのことを可能にする。ただ、その技術に使われるのではなく、技術を使いこなしてこそ、そして自分たちを害するような技術の使い方にNOを突き付けてこそ、技術と人は蜜月関係になれるのだと月並みなことを並べて締めとしたい。

  1. ここでこの感想を出してしまうと、本書の内容とめちゃくちゃに対峙することになるなと思ったりした []
  2. 同期の人数が少なかったことと、大学独自のメールアドレスを持っていたことと、必修授業が4日/週あったことと、私が毎日大学のどこかしらには居たので、必修授業の後で友人と会う約束をとりつけていたことがその状況が成立する要因だったのだろう。 []

文系社会人を経ての無職。からの学生。 本業は医学生、副業は無職文系。

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