無職520日目

今日やったこと

  • 模試類の申し込み
  • 事務用品・文具類のネット注文
  • 2020年の手帳注文
  • 洗濯
  • 掃除

今日の反省

  • 起きたら午前8時だった。寝坊極まっている。
  • 途中昼〜夕寝をしてしまった。保育園児か。
  • 模試の申し込みに手間取って図書館に行けなかった。手続き類は手際よくやる。

明日はこうする

  • 早起き
  • 手際よく行動する
  • 9月〜10月の予定を立てる
  • 模試代金の支払いを済ませる

今日の一言

9月の1日、今年に関しては2日か、は子どもの自殺率が高い日らしい。大抵の学校で夏休みが終わって新学期、学校に行きたくない子どもも多いことだろう。しかし「学校に行きたくない→自殺」とは安直極まりない選択だと思う。或いはその選択肢しか見えなくなるほど精神的に追い詰められ、視野が狭まってしまったのかもしれない。

鯉王は「学校に行け」とも「学校に行くな」とも言われず、休みたいときは休むし行きたいときは行く、みたいな義務教育生活を送ってきたが世の中そんなに理解ある大人ばかりではないし、学校は基本理不尽な場である。自分の命を守ってくれるのは自分以外にはいない。学校は所詮型抜きクッキー工場である。割れたクッキーの尊厳は自分で守るしかない。

ただ、学校に行かない選択をした場合に被る損害はクッキー側に出てしまうので、その辺のリスクマネジメントと責任を自分で取れるかどうかが重要となってくる。まあ学校に行ったからといって学校の提供する資源(主に学習の機会)を存分に利用しているというわけでもない。大切なのは「自分が自分の意思で自分で責任を取ることを承知の上で学校に行かない選択をすること」ではなかろうか。大丈夫、学校に行かなかったところで特に問題はない。その分学校が提供したであろう資源を自分で用意できれば。今の世の中はネットもあればオンライン学習サービスもあるのでわりかし資源は用意しやすい方だと思う。

「学校のせいで(正確にはそこに付随する諸要因によって)学校に行けなくなったのに、責任は自分で取らないといけないのか」という声が聞こえそうだが、世の中大体そんなもんなんじゃないかと私は思う。学校は社会の縮図であり、それ故にイジメは無くならず、責任を逃れようとするお上が存在するのかもしれない。

とまあそんなことを書いている人間が「子どもの自殺率が高い日に試験受けてなおかつ無職をやっている」とはなんたるアイロニーか。しかし私はそれら一切を自分の責任で覚悟を持って身銭を切ってやっている。自分の責任で物事を行う権利が存在せず、尚且つ自分にとって苦痛な場に赴かなければならないとき人は死にたくなるのかもしれない。

文系社会人を経ての無職。

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