無職1350日目
私来年の春には30なもんでしてですね
HやNとは昨年の春以来である。二人とも、開口一番「鯉王合格おめでとう!」と合格を祝ってくれた。気のいい友人達である。
私は二人に二人とも結婚したにもかかわらずまだ御祝儀を渡せておらず申し訳ないと謝った。特にNに関しては今年の夏に結婚式を挙げたにもかかわらず式に出席できなかったことも謝った。二人とも全然気にしていないと言っていたが、ちゃんと何かしら渡すとは伝えた。
そして運ばれてくる料理と酒。色々とインスタ映えを意識された料理の数々であった。
4人で近況を話すことにする。
我々昼から合流組(闇のデュエルの参加者組と私は呼んでいた)と違って、夕方からの既婚者組は光属性にあふれているだろうと思いきや、HからもNからも闇の多い話が溢れ出した。ここのテーブルだけ闇が多すぎて空間が歪むかと思ったほどである(重力場?)。
無職とは職も無いが闇も無い存在だったのだなと思うなどした。
HとNの闇はどちらかというと他人の痴情のもつれ系であり、Hは『ゴールデンカムイ』で姉畑支遁を見たアシㇼパさんみたいな感想を述べていたが、鯉王としては尾形寄りの回答をするしかなかった。ちなみに鯉王、無職になる前もなった後も痴情のもつれ系の闇とは無縁の生活を送っている。平和。
とはいえTもHもNも私とは異なり医学部学士編入試験でも受けようものなら一瞬で合格を勝ち取れるような面々でもある。この機に色々と聞くことにした。しかし3人とも「そんなに心配せんでもよい」という回答だった。
H1 は「いや医学部で留年とかまあ無いってww」と言っていたが…。その言葉信じとくぜ、と返した。
Nは「もしいるなら俺が使っていた教科書で家に眠っているのをあげるわ」とのことだった。これから貧乏無職ならぬ貧乏学生珍道中が始まるのである、非常にありがたい。
Nは同時に、「毎日貯金が目減りしていく中で勉強できるメンタルの強さがわからん」と言っていた。鯉王の家系はメンタル強度が激強か激弱かのどっちかしかないので運よく激強の方が出たか、自分の子孫を残すことを考えずに私が私の持てる資質やら資金やら時間やら寿命やらを己に全振り出来たからか、全てを自分で賄っているので覚悟が出来ているからかのどれかなんじゃなかろうか。宵越しの銭は持たねえという心意気を普通に持てる人間も居れば、そうでない人間も居る。どちらが良いとも悪いとも言えないが、私はたまたま前者だったのだろう。そういうNも来年には父親になるらしい。それならば尚更貯金は大切でもある。
そこでHから疑問が出た。「鯉王は金が減るとわかっていたならなんで家を出たのか?」実家に住んで悠々自適の無職生活をしたくなかったと言えば嘘になる。
全てを自分で賄って受験生と大学生をしなければ今後自分が土壇場に立たされた時に揺らぐんではなかろうか?(もう若くはないのである、成人しているなら自分でケリをつけねばなるまい)と思ったというのと、きょうだいの迷惑さに嫌気がさしたというのを挙げた。
ちなみにきょうだいに勝手に死んだことにされていた話をしたらウケていた。
その間にも運ばれてくるサラダやら肉やらチーズやらといった食い物類。皆「今日の主賓だから鯉王が好きに食ってくれ」と言うが、私は多分この中では一番最初に30を迎える身である、正直なところそんなに多くは食べられない。
しかし今年夏にラーメン店でバイトしていた時に「食い物への冒涜は許されない」と強く思ったため、残すわけにもいかない。Hと私で殆ど食っており、NとTは専ら酒を飲んでいた。というかTは殆ど食っても飲んでもいなかったんじゃなかろうか(Tは下戸だった)。斯く言う私も昼間の中華やら午後の喫茶店やらが尾を引いておりそこまで食えない。
そんな折、Hがサプライズで用意してくれたケーキの乗ったプレートになんか派手な線香花火みたいなやつがついているものが出てきた。チョコレートで「合格おめでとう」と書かれている。
周りの光属性のテーブルも一体何なんだという雰囲気になり、無職文系である私としては少し気恥ずかしい。
既に過積載気味の私の胃袋にケーキを入れる。美味いのは美味い。
こういうチョコレートで皿になんか書いてあるタイプのやつって食った方が良いのかどうなんかわからんなと思いつつ、食われないまま皿を洗われるとなったらチョコレートで皿に書いた人の労力が報われない感じがしたので、食うことにした。あれって食うタイプのものなんか?
会計の段になって、私も支払おうとしたが「今回はお祝いなので…」と皆が割り勘で支払ってくれた。
鯉王「なんかすまねえな…」
H「医者になったら星野リゾートで豪遊させてくれ」
鯉王「(そんなに稼げるかわからんけど)承知」
昨年春の飲み会の時点では、私はただの無職で(今もただの無職文系であることに変わりはない)、何の確証もない状態であった。この状態で自分に金が無いことを理由に友人に奢らせることになったら私はこの人たちと友人をやっていく資格がねえなと春の月夜に思ったものだったが、来年の進路が決まった今なら彼ら彼女らの厚意をありがたく受け取ってもいいのだろうか。
時間も時間、そろそろ私も皆も家に帰らねばならない。またの再会を約してそれぞれの電車に乗り込んだ。
徳が高い人たち
帰りの電車に揺られながら、友人たちのことを思い返していた。
ネットで色々と書かれたときは「親に授業料や生活費を出してもらっている癖に全てを自分で捻出して生活する人間をどうこう言うんか?」と思わなくもなかったが2 、自分の友人たちはそんなことを言うでもなく、無職だからと疎遠になることもなくここまでなんだかんだと交流が続いていた。
勿論無職になった途端疎遠になった人間も居るし、公務員を辞めてからのことをしつこく聞いてきた元同僚も居ないではない。
ただ、なんだかんだと交流の続く社会人時代の知り合いや大学の同期・先輩後輩、高校時代の友人は人が無職をしようが特に変わりなく会えば学生時代の時のようなたわいもない話をするし、なにかと相談に乗ったり乗られたり、飯を食ったり茶をしばいたりしてきた。
人の人生をとやかく言う人間とそうでない人間、この差は一体何なのかと思わなくもない。
多分友人たちは徳が高いのだろうと身も蓋も無いことを考えた。
お会いしたことのないNの奥さんにも私の合格が喜ばれていたとNから聞いたとき、2人末永く幸せに生活してくれと思った。御祝儀と一緒に出産祝いも送らにゃならねえ。
私が今後どういう学生生活を送るかはわからないが、できれば同期に対しても先輩や後輩に対しても徳の高い人間でありたいなと考えていたら、一本前のバスを乗り逃した。
真冬の夜の寒さに耐えつつバスを待つ。いつか友人たちの徳の高さに報いることが出来ればと思うが、道はまだまだ遠そうだ。