弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20
学生生活779日目
今日はなかなかに変則的な1日だった。
4月の終わりに高校時代の友人Yが誕生日だったため誕生日おめでとうとメールを送ったところ、LINEで繋がることになった。
「何言ってんだ」と思われるかも知れないが、順を追って話をすると、
- 鯉王とYは高校で同じ部活だった。
- 当然その頃はLINEなどないため、メールでの連絡となる。勿論皆ガラケーだ。
- 各々大学に進学し、スマホやLINEが普及してきた。
- 鯉王もスマホを入手してからきっかり一年後にLINEを始める(理由:なんか危なそうだったから)
- その時にYに「LINEしようぜ!」と伝えるも、YはLINEを使っていないと聞いた
- そのまま年月が過ぎ、Yとはメールでのやり取りしかなかった
- そして冒頭へと繋がる
最初に「LINEしようぜ!」ってYに言ったとき、Yは「LINEなんか情弱の使う連絡ツールだ」って言ってたからそれ以降YはLINEを使ってないんだと思っていたが、流石に現代化の波的なやつには抗えなかったのかもしれない。
高校時代鯉王はいわゆる弦楽部1 に所属しており、チェロを弾いていた。
つっても高校入学してから始めたのでセロ弾きのゴーシュの5億倍下手だったが。
当時鯉王の家庭は凄まじく荒れており、家を追われてまあまあ大変だった。
高校生活も上記含めた諸事情により大変な様相となっていたが、部活をやることはできた。公立高校で、部費とかも安かったからというのはある。
その辺はまた有料記事で書こうと思う。
Yは幼少期よりバイオリンをやってきており、音楽の道に進むか、進学するか決めかねていたために地方の県立高校普通科に入学し、同じ部活に入ったという。
Yは高校2年生くらいからバイオリン一本に絞り、音大を受験した。
我々は卒業以降ずっとメールでやり取りしており、直接会うことはなかった。
この度Yがまあまあ近い所で演奏会をやるというので二つ返事で行くわと伝えた。
当時部活の部長だったA2 も誘うことにした。
それが今日である。前フリが長くなったぜ。
朝から曇天。取り敢えず病理学の組織像のスケッチが残っていたので無理矢理終わらせる。
甲状腺乳頭癌と髄様癌のスケッチまあまあド派手に適当になっちまったな。
それはさておき小雨の中駅までチャリを駆る。
無事に駅に辿り着き、電車に乗る。
コンサートホールは電車で50分ほどの中都市にあった。
駅でAと待ち合わせとなっていたが、1時間半ほど前に着くようにしたため、腹も減ったし昼飯を食うことにした。
都会な方にしては激安のメニューをかっ込み、都会を彷徨く。百均で赤紫系の色鉛筆を買った。
待ち合わせ時刻に駅に向かうと、Aが時間きっかりに駅にいた。2人して近況を喋りながらホールに向かう。折しも雨は激しさを増していた。
前からそうなるだろうと聞いていたが、Aはこの春転勤して、地方都市の高校に勤めているらしい。なかなか良いところだと言っていた。
若干迷いつつホールに到着する。なんというか、めちゃくちゃ現代的なホールだった。
最近の大学のゴタゴタに疲弊していたのもあり、高校時代の友人と話すのは気が楽である。向こうも気楽さを感じてくれていると嬉しいが…。
取り敢えずホールの入り口に並び、ホールに入る。Yは「有料コンサートやけどええんか??」的なことをLINEで言っていたが、鯉王はそんなにみみっちい性根を持った覚えはない。
確かに私は貧乏学生だが、友人の誘いに金を惜しむ気はない。
そして開演。開演5分前にはiPhoneもiPadも電源を切っていた。当たり前のことである。
万雷の拍手で迎えた中に、確かに面影を残すYがいた。抱えたバイオリンはあの頃から変わっているのだろうか。侍が刀を帯びているようにも思える様相だった。
Yは部活やってた時から相も変わらずの1stバイオリンである。チューニングが済み、一瞬静謐な空気が流れ、始まった。
最初の曲はシューマンのピアノ五重奏曲。
激しくも、ピアノと弦楽器がお互いを高め合って先へ前へと進んでゆく曲。第一楽章は喩えるなら春一番。
第二楽章になってもペースは落とせど勢いは衰えることなく、次に向けての助走のような感じであった。
第三楽章は助走を受けての苛烈さ、鋭さがあり、第四楽章はそれら全てを包み込む荘厳さ、流麗さがあった。
そして暫くの休憩を挟んで、今日のブログ記事のタイトルにもなっているメンデルスゾーンの弦楽八重奏が始まった。
大抵、「弦楽四重奏」とかって呼ばれるように、最小単位は4人である(バイオリン2人、ヴィオラ1人、チェロ1人)し、四重奏は割とメジャーである。
八重奏ともなれば、人数が倍存在する。楽器の数も2倍だ。3 。
威力も倍!
どころではない。
華やかさ、壮大さ、音の奔流の中に宿る一人一人の旋律の煌めき。
ある種宗教的なトランス状態に陥っていると錯覚させるような音の波濤。
16歳の時にこの曲作ったメンデルスゾーン天才か??まあ天才か…
終わりまで一瞬だった。
万雷の拍手。
その後に、アンコール。
Yとピアノの演奏者が出てきた。
最後は最後らしい、宴の終わり感のある静かな曲であった。
始まり同様終わりにも、ちょっとした締めの言葉があった。
閉演となったので、ホールを出て、Aと一緒にホール併設のカフェでおやつと洒落込む。
私鯉王はでかいクロワッサンとでかいマシュマロを頼んだ。美味い。
その後、兼ねてから予定していた通りに3人で飯でも…というようなことをYに送る。
とはいえ、Yも打ち上げとか諸々とかで忙しいかもしれないので、無理そうならまたの機会でいいやと思ってはいた。そうなったらAと一緒に飯を食って帰ろうと思っていた。
クロワッサンを食っていたら、Yから電話がかかってきた。なんか楽屋で待っていて欲しいとのことだったので、食い終わって移動する。
道中若干迷いつつもAと2人してくっちゃべって待っていると、Yと今回の演奏会の主催者の方がやってきたので会釈する。
そのままYに連れられ、搬入口的な所に向かうとYの車が停まっていた。最初一瞬隣に停まっていたベンツかと思っていたが、それを察したらしいYに「いやそっちじゃない」と言われたりもした。
3人で車に乗り込み、Yの発案でジョリーパスタに向かうことになった。三十路3人でジョリパに行くカオス。
Yはこの後コンビニの夜勤があるらしいので、2時間ほどの会となった。
3人でパスタを食いつつ話し込む。マジのガチで私もAもYとは高校卒業以来会ってないのだ。
諸々の思い出話や、高校卒業から今まで何やってたか、他の高校時代の友人のその後など、話が尽きることはなかった。
私も自分の知ってる範囲で伝えたり、逆に本ブログの最初の最初の方で書いていたような友人の話を伝えられたりもした。
あの頃はあんまりぶっちゃけてなかったので、丁寧に書いていたが、今やったらまあまあボロカスにその友人のことを書いていたかもしれない(まあボロカスとまでは言わずとも、「何やねんアイツ」みたいには書いていたし、「それはないやろ」みたいなことをされている)。
話が終わるとYは私とAを駅まで送ってくれた。私とAも駅で別れた。
私はその後暫くうろつき、電車に揺られた。雨粒が車窓を叩く外をぼんやり眺めていた。
自分は根無し草のように、浮雲のようにふらふらとしてきた。専門らしい専門も、特技らしい特技も持ち合わせておらず、在るのは一銭の得にもなりはしない教員免許と英検一級くらいだった。
文系の頃の専門も、医学も未だ中途半端である。
YもAも積み上げてきたものがあり、今現在進行形でそれを使い、磨き、鍛え、更に高みへと押し上げている。10年以上も。
私にはそれが無い。無いことによる利点も、無いことによる欠点もよく知っているつもりだが、流石にこれは無いことによる欠点が大きすぎた。
この状態のままだとしたら、私はいつまで積み上げてきた友人達といられるのだろう。
その後まあまあな雨に降られながらチャリを漕ぎ、帰宅した。
かなりずぶ濡れになっていたので即風呂に入り、火曜日に提出締め切りの実習のレポートが全く終わってないことに気がついた。