無職382日目
今日は家族の帰宅が遅くなるらしいので、堂々とリビングに段ボール箱を出しまくって荷物の箱詰めを進めた。わりと部屋の中も片付き、持って行くべき荷物もまとまったと思う。
それはそうと今日は高校時代の友人の誕生日だったなと思い出した。高校1年の時に知り合った奴だった。
私の通っていた中学は近隣でも有名な荒れた中学で、そこから同じ高校に進学した友人は数が少ない上に親しい人ばかりではなかったので、高校に入ってから新しい交友関係を築くことになった。とはいえ人の顔や名前を覚えるのがそんなに得意ではないため、「向こうはこっちを知っているがこっちは向こうを知らない」的な状況がまあまあ発生していた。卒業した今、顔と名前を思い出せる友人は片手で数えられるほどしかいない。
今日誕生日の友人は、私が顔と名前を思い出せる数少ない1人である。
同じ大学に進学し、途中から全く見かけなくなった。
高校時代から基本毎年誕生日ごろに連絡を取っていたが、1回目の大学時代に一時期連絡が取れなくなった時があった。その後何故か連絡できるようになり、LINEを交換して(我々が高校生の頃はLINEというサービスがそこまで普及していなかった)、一昨年の夏と昨年の今頃会ったような記憶がある。
頭の良い人間だった。鯉王は高校時代は文系かぶれの理系として過ごしていたが、その友人は文系では有名だったらしい。
今年も誕生日ごろに連絡でもするかと思っていたが、やめた。
私は未来しか見ていないような人間で、その未来が必ずしも輝かしいものではなくとも、そこに向かって破滅だか栄光だかわからない死の行進を毎日毎日続けることを厭わないような人間である。仕事を辞め社会人という身分を捨て結果が出なくとも来年3月まで戦う他に道はない。他でもない自分が再受験をすると決めたので、その辺悔いはない。自分で選んでそうしたからには、相応のリスクを背負う覚悟と責任がいるし、それらを兼ね備えていると判断したから続投した。
だがその友人の目には多分他人と過去しか映っていないのだろう。過去2回の邂逅を踏まえて確信した。そうなると選んだ道は分かたれたし今後関わることもないはずだ。
訊かれれば昨年何をしていたか、今年の初めはどうしていたかを答えるだろうが、訊いてくることも無いと思う。
人の近況を尋ねて来ないというのは他人や過去を気にせず今と向き合っている証左だろうし、そんな瑣末なことを気にしているより遥かにマシだからである。