無職1168日目

今日の一言

しかしやる気が出ない上に蒸し暑くてたまらんな。というわけで5月から延び延びとなっていたエアコンの点検を行うことにした。若干臭いがするが、エアコンスプレーをして暫く運転しているうちに臭いもなくなることだろう。

その後昨日が消費期限だった鶏胸肉のミンチを旨辛い味付けにした。これをいつもの袋麺に入れたり、ご飯に乗せたりしたら美味いだろうな。

そして今日は大学の同期だった友人の命日でもある。もう4年も経ったのかと思うと同時に、彼はもう年を取ることはないが、鯉王は随分と歳をとってしまったと否応なくわからさせられた。彼の実家から以前のように連絡が来ることはないし、他の同期からも何かするという話があるわけでもないが、時間は確実に流れている。

友人の命日が近付くたびに、「無職を続けて医師になるために日々を生きているが、私にここまで生き長らえる意義はあるのだろうか」と考えることがある。勿論私はまだ死ねないし、死ぬ気もない。ちょっとやそっとの不幸は全部撥ね飛ばしてでも医師を目指して前も後ろもないような道をいくしかない。

某政党からすれば私の現状は「生産性ゼロ」みたいなものだし、どの側面から見ても「負け組」そのものだろう。だが、私は私の人生における選択に概ね満足しているし、この結果もまあ己が実力ということで受け入れている。それに2021年の春がダメだったからといって来年もダメとは限らないし、案外チャンスはその辺に転がっているはずだ。その転がっているはずのチャンスを狙うために編入試験も受験しようと決めたわけであるし。まあまさかここまで諦めが悪くて延長戦になるとは思ってはいなかったが…。

来週には母方の祖父の命日がある。祖父の口癖は「死んだらしまいや1 」だったので、私に生き長らえる意義がなかったとしても、「死んだらしまい」なので医師を目指して奮闘していくしかない。

もしかしたらアルバイトや勉強を続けながら、このご時世において無職文系で生き長らえること自体が割とレアなケースなのかもしれないとたまに思ったりもする。意義だの意味だの考えるのは、生き延びた後、所属を決めた後でも多分問題ないだろう。死なない限り、諦めない限りしまいは来ないはずだ。

そんなわけで、私もまだまだ死ぬわけにはいかないし、あるチャンスは全て活かしていきたい。でもって可能ならこの無職文系珍道中が終わった後に無職期間の話をその同期の友人に語りたい気もするが、墓まで行くのがちょっと遠いのでそれは60年くらい後にしようと思う。

  1. =命あっての物種ということだと思われる。死んだらゲームセットで何も考えなくてもいいというニュアンスではなく、死んだらゲームオーバーで何も意味がなくなってしまうの意味ではないか? []

鯉王

文系社会人を経ての無職。 本業は受験生、副業は無職文系。

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