留年290日目

75日後に進路決定する限界医大生

今日は本来なら集団塾のバイトの研修(要は仕事に慣れてきて暫くするし模擬授業を社員の前でやってもらおうか!的なやつ)が午後からあるだけであった。

が、昨日夜のチャリでの単独事故により腕が緊急事態となったため、急遽朝から整形外科を受診することになった。

身体を起こすだけでも一苦労し、服を着替えるのも二苦労した。昨日なんで靴下脱いじゃったんだろう。めちゃくちゃ履きにくい。

昨日脱ぐ時に苦労したのでファスナーの無い服は除外し、昨日から着ぱなしのヒートテックのタートルの上からパーカーと、防風・防水パーカーを着る。二段構えだ。

外を見ると大いに雪が舞っていたが、臆せずに外に出る。自転車は運転できそうに無いのでバスで最寄り駅まで出る。

利き腕が使えないので、バスの硬貨を取り出すのに若干手間取った。

そこから電車に揺られ、集団塾のある駅に出る。

集団塾のある駅はまあまあ大きい駅であるため、駅の近くに整形外科も多いと踏んだのである。大学のある地に引っ越してきて1年と10ヶ月ほど住んできたが、今まで大病らしい大病をしたことがないので近隣の病院事情に疎い(通っている大学の病院が診てくれたら一番楽なのだが)。取り敢えず大きい駅の近くの整形外科を頼ってきたという作戦だ。

雪は変わらず降っていたので転倒とかしないよう気をつけて整形外科に向かう。

9:00に受付開始のところ私がたどり着いたのが9:15だったのだが、既に院内はまあまあ混雑していた。

問診票を書かされることになったのだが、これがなんとも大変である。確かにペンは使えるが、使えるからといって普段みたく問題がないというわけではない。

問診票を記入し終え、30分ほど試験勉強をしながら待っていると診察室に呼び出された。

慌ててタブレット端末やらなんやらを抱えて診察室に入る。肩が痛え。

事情を説明し終え、着ていたパーカー類を脱がされると徐ろに医師が肩を触り出した。

「ふーむこれは危ないかもしれんな…」

などと呟きながら肩を触ったり腕を上げたりする医師(HPを見ると自分の通ってる大学を卒業した医師だった)。

レントゲンを撮られることになり、服や荷物を預けたまま再び待機することになる。こちらも15分くらいしたら呼ばれることになった。

レントゲンは角度を変えて2回撮っただけであった。自分の地元の整形外科だと3〜4回は撮られるので(診療報酬的なアレかもしれない)、少ないなとは感じた。

レントゲン室から戻ってきて待合室を見渡すと、老人が悉く「リハビリ室」に吸い込まれていっていた。どうやらこれがゼニを生む仕組みらしい。

再び診察室に呼ばれ、部屋に入ると自分の肩周りのレントゲンがモニターに映っていた。心なしか、鎖骨と肩甲骨の間が普段よりも空いているように見える1

医師「肩鎖関節亜脱臼…ま、強めの捻挫だね」

湿布と痛み止めが処方され、1週間ほど安静にしておくようにとのことだった。そして右腕は挙げたり重量物を持ったりしないようにと告げられた。

とりあえずヨロヨロしながら駅まで向かい、集団塾に電話する。暫く授業ができないためである。

月の〆だったり何だったりいろいろ話し合うことがあったため、その足で集団塾に向かい、話をつけた。

それらが終わるころには午後1時近くになっていた。

なんか試験も迫っているし肩は痛いしで半ばヤケクソになっていたので、駅近くのコメダ珈琲店に入り暴食しながら親に電話をかける。

肩がめっちゃ痛いこと、試験がほぼ10日後に迫っていること、1人では生活するのに若干大変であることなどなど。

話し合いの結果、試験前で授業が無くなったら一旦実家に戻ることになった。

話もまとまったことだしと電車とバスに揺られながら根城に戻る。

しっかし利き腕が使えるかどうかもわからんのに試験とは。

そして物が散らばったこの部屋も、一夜にして肩の痛む私に対する殺傷圏キリングゾーンへと変貌した。

やれやれどうなることやら。

  1. 前回肩周りを撮った時のレントゲン画像と脳内比較した感じでは若干今回の方が開いていた。 []

文系社会人を経ての無職。からの学生。 本業は医学生、副業は無職文系。

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