留年112日目
253日後に進路決定する限界医大生
数日前に働き方改革がどうのこうのみたいな記事を書いたと思う。
あれは残像だ。
逆に仕事が増えまくってえらいことになりつつある。
オンライン家庭教師やらアナログ塾講師やら、その他リモートワーク完全在宅やら現場直行肉体労働やら振れ幅が大きい。
ちなみに今日は珍しく仕事がなかった。…仕事に関する応対はあったが。
午前中は汗まみれの身体を引き摺って久々に部活に顔を出し、梅干をゲットした。あと、カイガラムシを大量に駆除した。
途中、トライかなんかの新サービスに関するzoomを視聴せねばならなかったので爆音で流しながら部活をやっていたと思う。
その後大学の図書館で本を借り(留年中も本は借りれる。これ豆知識な)、服を着替えて一路大学からちょっと距離のある所にある複合商業施設に向かってUNIQL〇の服を受け取りに行った。
無職時代から着ている夏の服に最近穴が開きだしたり破れたりしているのが原因で、服が今非常にないのである。まあ何枚かは穴が開いても着ているのだが、さすがに「前衛ファッション」で乗り切りまくるわけにもいかない。
ちょっと前までは制服完全貸与の日雇い工場労働的な職場が多かったが、最近は自前の服の用意が求められることが多いので、穴が開いているとちょっとまずいのである。
そんなこんなで服を受け取った後、友人と合流する。
午後は午後でサイ〇リアで友人と飯を食う約束があったのである。
この友人は同じく留年している(今までの記事中に何回か出てきた留年マスターとはまた別の友人である)。
サイゼの定番ドリアに温玉乗せたやつを食いつつ、私は腹が減っていたのでペペロンチーノもついでに頼み、ポップコーンシュリンプを二人でつつきつつ、ドリンクバーで作った山城国一揆(山ぶどうドリンクと白ぶどうドリンクとメロンソーダ混ぜたやつ)を飲みながらくっちゃべる。
やっぱり幾つになってもサイゼで気軽に飲み食いできる友人が居るに越したことはない。
話の内容は専ら留年中の過ごし方とか、次回の旅のプランである。
「旭川を経由せずに道東から道北に公共交通機関を使って抜けられるか」
「無理じゃね」
みたいな話をしていた。
そして、本日夕方に迎えるオンライン家庭教師の面談が面倒くさいみたいな話もした。
鯉王的には厄ネタ案件であり、可及的速やかに断りたいのだが、こちらから断ると何かと面倒そうなので相手(生徒側)に切ってもらいたいところである。給料的にも割に合わねえし。
「まあ健闘を祈るわ」
ティラミスクラシコを食いながら友人がそう呟いた。まあいざとなれば元無職文系限界医大生にしか使えない「奥の手」もある。
鯉王はシナモンプチフォッカとジェラートを食ったのち辛いものが食べたくなったので、チョリソーと冷製スープを頼むという暴挙に出た。
満腹状態で店を出て(これだけ頼んでも二人で3000円で済むのは凄い)、書店に向かい旅の情報を得る。
でもって、私にはもう一つ目的があった。物理である。留年した際に色々と大学の先生に相談した結果、辿り着いたのが「物理をやれ」ということだった。
友人は物理選択で医学部に来ているタイプだったので、これはお勧めの参考書などを聞いておいた方が何かといいだろうと考え、お願いすることにした。
そんなわけで色々と見てもらう。
まずはやはりこれが一番わかりやすいらしい。
その後、ちゃんと現象を理解したかどうかを確かめるために問題演習が必要なのだそうだ。あと薄い問題集を周回するのがいいということを聞いた。
鯉王「いうて現実世界で物理の問題で扱われとるような状態なくないか?」
友人「まあ少女漫画の世界みたいなもんやと思え」
ほーん。プランク定数じゃん。
まあそれは置いておいて、書店もある程度ぶらついたので帰宅する。
帰宅時間がまあまあオンライン家庭教師の予定の時間ギリギリだったのでオンライン家庭教師先から連絡が入る。こっちは無給でそういうことしたくねえんだよな、生活かかってるので…。
帰宅して即だったので、リアル仙道みたいになっていた。まだ慌てるような時間じゃない。
仙道は男前だが、鯉王はそうではないのでただの汗まみれの30代である。しかし汗もペペロンチーノもオンラインなら関係ねえ!!
そんなこんなで始まったオンライン家庭教師の面談である。
開始5分も経たずして、夕立がやってきたので昨日から干してパリッパリに乾いていた鯉王の洗濯物は一瞬で無に帰した。ちくしょうめ。
当初得られた情報から「バリバリ教育ママ地獄より召喚される」みたいな感じかと思いきや、そうでもなかった。というより、「いい感じに相手に嫌われて即契約解除」作戦はものの見事に失敗に終わった。
大体こういう話し合いになるとなぜか信頼されるのである。オンライン家庭教師の派遣元(鯉王の雇われ元)も絶賛していたが、こちらとしては作戦失敗のオーバーキルだ。
まあいざというときのための「奥の手」の保険はかけておいた。
その後諸々の事務手続き等を終え、最近まで行っていた近所の大学(≠自分の通っている大学)の授業補助のアルバイト(一番実入りが良かったし、楽だった)の前期終わりの諸々の後始末をつけていた。
なんにせよ金が要るのは真理である、やれることはやれるうちに。