19の夏、私はとある予備校の夏期講習を受講していた。夏期講習のない期間中は自習室にこもって勉強しており、7月中旬くらいに「これを機に1日の勉強時間を17時間にしよう」と思い立って早速実行することにした。朝5時に起きて23時に眠るまで、あの手この手で勉強時間を捻出していた。

19の頃は今やってることの「親の扶養下に入ってるバージョン」をやっていた。親には「浪人生は事件や事故に遭うと無職と表記される1 ので、無職としての覚悟を持つように」と言われていた。事件や事故には巻き込まれなかったが無職らしく勤勉であろうと思ったものである(まさか親もその後リアルに無職をやるようになるとは思わなかったろう。私もだ)。

その当時はありがたいことに母が弁当を持たせてくれていた。2 自習室が閉まるのが21時だったので、昼飯と晩飯の二つである。現代のように自習室が沢山あるわけでもなかったため、利用していた自習室はお世辞にも快適な環境とは言い難く、人口密度激高で様々な立場の人が押し込められ、少しでも席を外そうものなら席がなくなるという有様だった。そんなわけで自習室の廊下で立ったまま飯を食ったりしていた。ちょうど自習室の廊下に棚があったので幸いした。

17時間/日勉強をやり始めて1ヶ月が経つか経たないかの頃になると現実がどうなってるのかがわからなくなり始め、今が何日なのか何曜日なのかすら気にしなくなり始めた。元々人の顔や名前を覚えるのは得意ではなかったが、その頃になると「この人は知り合いなんか?全くわからんな」みたいなことを考えながら高校時代の友人と話をしたりしていた。

8月のある日、晩飯代わりのおにぎりを食っていると何の具材も入っていないのにやたら酸っぱかった。いつも梅干し入り3 のおにぎりを持たせてもらっていたため、その日だけ何の具も入っていないのを不思議に思ったものの、「多分梅干し入れていたけど気が変わって出したから酸っぱいんだろう」などと思い直して完食した。今から考えればそれは明らかに腐っていたのだが、17時間勉強を続けまくったためにその頃には勉強以外の判断力がほぼなくなっていたのである。

その後21時に自習室を後にし、電車に乗り込んだまでは良かったのだが、電車に揺られながら日本史の教科書を読んでいる最中にめちゃくちゃ気分が悪くなってきた。電車に揺られて酔ったか?とも思ったが、今まで通ってきてそれはないはずである。仕方なしに速単のCDを聴く方に変えたが、胸のむかつきが半端ない。電車や駅に迷惑をかけるのは電車通学をする身としては避けたかったので、取り敢えずあと45分くらい揺られれば最寄駅に着くと思いながら、CDに集中することにした。

最寄駅に着く頃には足はふらつき、目の前がチカチカし、妙に冷や汗ばかり出るようになっていた。冷や汗が電車の冷房で冷やされ、着ていたパーカーも汗まみれとなっていた。最寄駅のトイレでいったん落ち着くかと思ったが、私の家は駅からそう遠くない。割と気力とかを振り絞りながら帰路についた。

最寄駅と家の間には小さな公園があり、疎らな街灯が等間隔に並んでいるのだが、もうそこで色々と限界だった。自分でも驚くほど全力でリバースした。しかも一回では収まらず、胃の中のものが全部出るほどであった。ついでに目から水とかも出た。小さな公園は近所のヤンキー高校の高校生の逢引場所として有名だったが、そこに高校生が居ようが居まいが関係ない。不審者だろうがヤンキーだろうが寄ってきた奴には容赦なく吐瀉物をお見舞いしてやるぜと思いながら出せるものは出した。

全部出したらスッキリはしたが、足のふらつきはまだあった。視界もはっきりしてないし参考書や問題集類の入った鞄もクソ重い。当時辛うじて持っていた携帯電話(ガラケー)で親にバケツを持って公園まで来てもらえるよう依頼し、自分は公園にあった水道で口を濯ぐことにした。その後親が割とすぐやってきたので事情を説明し、2人で公園の水道でバケツに水を汲みまくって「現場」の清掃に努めた。

帰宅してからも何度かリバースしたため、しばらく水だけにしておいた方が良いということになり、その翌日からも自習室に通いはしたが飯は食わず10時間くらいで止めておくことにした。2日くらいしたら回復したが、またリバースしても困るのでそれ以降17時間勉強をすることはなくなった。

リバースしたおかげ(?)なのか何なのかはわからなかったが、その後某大学の夏の冠模試で成績上位者一覧に名前が載ったことがある。もう全部捨ててしまったし、結局不合格となったのでまあどうということではないのだが。

余談となるが、このとき私が食ったおにぎりは実は祖母が握ったものであり、母はそれを貰ってから一晩常温で放置していたらしい。真夏に。そりゃ腐るわ。普段なら腐ったものを食べたとしてもちょっとやそっとではリバースなぞしないし腹も下さない私である、これ常人だったら確実に生死の境を彷徨っていたんじゃないかと今でも思う。皆も食品の保管・管理にはよく気をつけよう。

その後大学に進学し、単位のためにTOEICを受けることになった。1日8時間(午前中2時間、午後6時間の勉強)、それも英語だけ。学食でおいしいご飯も食べられるし、夏休みなので空いている。めちゃくちゃ快適な2週間だった。

勿論17時間なんか勉強しなくても大手を振って大学に合格される方もいれば、1日20時間勉強しても何の問題もない方もいらっしゃるだろう。当人が当人なりに工夫を凝らして努力をする過程は多分何らかの役に立つはずだし、よしんば役に立たなくてもブログのネタくらいにはなる、はず。

  1. この話の真相は定かではないが…。 []
  2. 家事もする必要がないので今から考えればかなりの好待遇だった。 []
  3. 腐敗対策らしい。夕方からの集中力持続策として効果的だった。 []
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文系社会人を経ての無職。からの学生。 本業は医学生、副業は無職文系。

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