今日の一言

本日の試験についてはpixivFANBOXに記す。

昨今、「親ガチャ」という語が人口に膾炙しているらしい。

私は「新卒ピックアップ職場&上司ガチャ〜マッドマックス怒りの公務員ロード篇〜」で見事大爆死をかましたが自己の死亡以外で退職(ゲームセット)し、無職文系ロードを爆進している身であることもあって(この辺もまたどっかで書くと思う)、「どういう環境に当たるかは(その環境の持つ属性や性質は別として)本人の努力云々よりも運要素強いよなぁ」という考えもないでもない。

この「親ガチャ」という語に関しては、「いや学歴とかは本人の努力だろww何でも環境のせいにすんなよww」という人間も幾ばくかは存在するらしい。鯉王の偏見で申し訳ないが、そういうことを言うのは多分実家激太両親健在母親専業主婦のトリプルコンボをかまして尚且つ本人が名門大学とか行ってる層なんじゃないかと思っている。

知らんけど。

それはそうとして、鯉王としては「親ガチャ」という語に関しては好感も嫌悪感も特にない。ただ、そのような語が出てくるほどこの国の貧困の連鎖は不可避となりつつあり、階層の固定化も進みつつあるのだろうと推測するに難くない。

私が文系社会人をやっていた頃から「親ガチャ」という語があったのかどうかはわからないが、漠然と「環境を選び取れるか否かは運なんじゃなかろうか」と思わされるような出来事に遭遇したことは多々あった。

「親ガチャ」という語によって当人の抱いてきた不安感や自らを罰しようとする意識から救われる人々も数多く存在することだろう。そんな訳でこの語を忌避する気もなければ嫌悪することもない。かといって何でもかんでも「ガチャ」で片付けてそのような語が生まれた背景となる事象や原因を考察することを放棄するのもどうかと思うので、好き好んで使うこともないけれども。

翻って鯉王自身の「親ガチャ」はどうかと言われれば、「いやなんか特に悪いこともしてねえのに急に16の時に住む家を追われた時は割を食ったなと思ったけど今となっては人生に役に立ってるし感謝してるよ」というのが率直な感想である。

経済面や幸運という面では爆死も斯くや、と言わんばかりの運の悪さかもしれないが、子供の意思の尊重や文化・教養面はかなりの水準だと思っている。なんといってもこんなに無職してるのに怒られることもない。いやまあ全部自分で賄ってるからかもしれないが…(親の脛を齧っていたら烈火の如く怒られていたかもしれない。実際私のきょうだいはめっちゃブチギレられていた)。

再受験界隈や医学部受験界隈を見渡すと、それはもう資金は潤沢、実家も激太、親の扶養に入っておんぶに抱っこ、というパターンも見かけるには見かける。

それを羨ましいと思わないと言えば嘘になるが、自分の持つリソースを最大限活用すること自体は悪いことでもなんでもないし、寧ろ積極的に活用すべきだと鯉王は思っている。使えるリソースは多けりゃ多いほどいい、使い方さえ見誤らなければ。

私も(他の人と比べりゃ少ないかもしれないがあるだけマシな)時間やら知識やらといった持てるリソースでやりくりしてここまでやってきたし、これからもやっていくつもりだ。

そうやっていろんな物事において「貴方は貴方の持つリソースを、私も私の持つリソースを最大限活用してお互いやりたいことを楽しくやれたらいいし、互いのできる範囲で助け合えたらいいね」となれば世界は丸く収まるかもしれないが、そこに「自分のことは棚に上げて人の事情を度外視してとやかくいう人間」が現れるからこの世はままならねえし話がややこしくなるんじゃないかと思わなくもない。これは親ガチャの話に限らず、趣味やらママ友やらビジネスやらの大抵のことに言えると思うが。

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文系社会人を経ての無職。からの学生。 本業は医学生、副業は無職文系。

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